林檎飴

 

「見ろ、外道丸。 漆黒の闇に橙の光が滲み出して、果てしなく続く 夢幻の行路を成しておる。

 人の祭りは楽しいぞ。今宵はぬしも大いに楽しめよ——っ、へっ・・・・・・クシュッ!」

「晴明様、鼻水出たでござんす」

「解っとる——っぶへくし!——ぐしっっ!——ぐっしゃん!!」

「もう帰ったほうが良いのじゃございやせんか」

「——何言っとる、来たばかりじゃないか・・・・・・っは・・・・・・はふ」

「ティッシュでござんす」

 

 晴明様は鼻をかむと、充血した眼で恨めしげに、丸めたティッシュを眺め。

あっしは 真っ黄色の林檎飴を齧りつつ。

 

「お前を天神祭に連れてきてやる と、確かにこの口で約束したんじゃ。——ズッ——これしきの花粉症」

「晴名様、鼻の穴から ところてんのナイアガラが流れ落ちているござんす。

 もはや見てるこっちは爽快でござんす」

「——マスク買ってくる。あそこのハートインで」

「あっしが」

「良い。ぬしはこの辺におれよ」

 

アスファルトにボタボタと光る雫を落としながら、晴明様は雑踏の中へ消えた。

待ちぼうけ。歩行者天国の縁石の上に腰掛けて、橙色の夢幻を眺める。

人の祭りに来るのはニ度目。以前はクリステル様と一緒に来た。

同じ夢をもう一度みているように、何もかも記憶にある通りだ。 

みんな陽気に 浮かれ騒いでは、橙色の光に包まれて きらきら光る。

——土の下に暮らす鬼にとっては どうにも明るすぎる。

 

 

『外道丸、楽しい?』

『はい、クリステル様』

『良かった。・・・・・・でも、ちょっとお腹空いたんじゃない?』

『ぇ?別に』

『さっきから口数少ないし・・・・・・なんだか、物足りなそうな顔してるよ?』

『そんなこと無いでござんす』

『そう?

 ——あ、ちょっと待ってて』

 クリステル様はそう言って近くの屋台に走ると、水色と黄色の林檎飴を持って戻ってきた。

『外道丸、どっちが良い?』

『なんでござんすか? 毒みたいな色でござんすね』

——クリステル様と、縁石の上に腰掛けて、黄色の林檎飴を舐めた。

其れは甘くてとても美味しかったけれど、飴の中の林檎は少し薄味で、食い足りなかった。

『御馳走様でござんす』

『気に入った? でもちょっと味気無かったね』

それから、クリステル様は何故か、こんな事を言った。

『外道丸にも、もうすぐ出来るよ。 一緒にお祭りを歩いてくれる 大好きな人』

 

 

「——ぁ」

林檎飴は まだ喰いきらぬうちに、うっかり地面に落ちてしまった。

もはや林檎の原型を失った其れを、喰うか喰うまいかチョット逡巡し——溜め息を吐いて、割り箸を捨てにゴミ箱のある一角へと歩いた。

 

 一件の屋台が目を引いた。

少し高く設けられた台の上が、きらきらしている。 暖かみのある祭りの光と違って、其れは涼しげな光を返している。

覗いてみれば、半透明や乳白色の 小さな動物が沢山並んでいるのだった。

雪ウサギに、かわずに、羊に、金魚に、龍に、イルカに——

白いニワトリをそっと摘まみ上げて、ぷっくりしたお腹や、ちっぽけな赤いトサカや、円らな目や、ちょんと尖った黄色いくちばしや、くるりと丸まった青い尻尾を しげしげと見た。

そのまま口に含んでしまいたいような、とても愛おしい造形だった。

——誰かの長い指が、この手から其れを取り上げた。

 

「ほぅ。・・・・・・可愛いもんじゃのぅ」

 

見上げれば、不細工なマスクの上に、切れ長の充血気味の目があった。

 

 

また暫し、縁石の上で。

晴明様はマスクを顎に引っ掛けて甘酒啜り、あっしは硝子のニワトリを手の中で転がし。

 

「完 全 防 備 じゃ。 杉も松もキリンソウも恐るるに足らず。 気兼ねなく遊び倒すぞぅ」

「晴明様、あの—— 有り難うございやす」

「ああ。

 わしはぬしを、もてなす気で連れてきたのだからな。 今宵はやりたいことをなんなりと申せよ」

 

そう言って頭を撫でてくる手は、華奢な癖に大きい。

その手を無意識に払いのけた。 何故だか。

 

「・・・・・・セクハラでござんす」

「なんでじゃ」

「一人前の鬼女を、馴れ馴れしく撫でるもんでは無いでござんす。

 犬っころ扱いはやめておくんなせ」

「犬っころなどと思った覚えは無いが・・・・・・

 嫌だったのか、すまん」

「そうは言ってないでござんす」

「何なんじゃ ぬしは」

「——鬼でござんす」

 

どうにも祭りの光は 橙色なので、頬の色を隠さなくても良いのが 幸い。

それでも晴明様が笑いを零した時には、密かに冷や汗が出た。

それと同時に、得体の知れぬ高揚感があった。 隠れた癖に見つかるのを待つ童子の、心地に似て。

 

「鬼でも、やはり女子じゃの。

 そのニワトリ、割れやすいから気をつけて持ち歩くんじゃぞ」

「——パクッ」

「え? ——何故口に入れとるんじゃ?」

「? こおいうお菓子でござんひょ、こえ」

せつこ、それドロップやない! 危ないから出しんさい!

 

血相変えて口を開けさせようとする晴明様に向けて舌を突き出せば、その上には、

鳩時計の鳩ように 小さなニワトリが立っている。

 

「冗談でござんすよ」

「・・・・・・はぁ」

 

てらりと光るニワトリを、あっしは懐の中に入れた。

 

「行きましょ、晴明様」

「ん。

 なんじゃ、ぬしも結構のってきたみたいじゃのー」

 

ますます不細工なマスクを装着して、くぐもった声で晴明様は言った。

あっしは、春の気配を孕んだ夜風を、これみよがしに吸い込んでやった。

 

「ことしの林檎飴は、酸味が利いてたでござんすから」

 「そぉか。良かったの」

 

 

<fin>