ジャン・ハボックであります。
最近は日がな一日、病室の薬品臭い枕を味わい、これでもかってほど白い天井を眺めるか、さもなくば見舞いに来る上司(野郎)のヨタ話に付き合わされるばかりの日々を送っております。
・・・・・・なんで俺 またここにいるんでしょう。
(アームストロング邸よりお送りしております)
あれは、昨日のこと。
「前の件は残念だったがな」
「いやいやいやいや」
「先方はお前のことをとても気に入っておられるらしい。 この機会にと、少佐づてにわざわざ声を掛けてくださった。
というわけで脚のことも一応断っておいたが、生殖機能が無事なら問題は無いとのことだぞ」
「冗談じゃないっスよ」
「お前、その体だろう。これを逃したら次は無いかも知れんぞ。
ここで逆玉に乗っておけば一生安泰じゃないか。
メイドにちやほや世話されて暮らして、最期はキングサイズのベッドで特上羽毛布団にくるまって死ねるぞ」
「普通サイズのベッドで充分です」
「今しかないんだよ。 オリヴィエ・ミラ・アームストロング少将が中央に来てる今しか!」
「マジで勘弁してくださいよ!」
「会ったことあるだろう。少々お歳は召しておられるが、お前にはもったいないくらいの見目麗しき御仁だぞ」
「いや、見た目とかいう以前にあの人だけはホントに絶対無理ですって! 戦う前から死んでます!」
「戦争じゃない。見合いしろといってるんだ。 ていうか上司命令だ」
「あんたもう上司じゃないでしょう。 いやホント、あの家には懲りたんスよ。トラウマなんですよ。誰かさんのせいで」
「ハボック・・・・・・私は、お前に隠居して、養生しながら穏やかに余生を送って欲しいんだ。解らないか」
「面白がってるだけでしょう」
図星を突かれたに違いない大佐は、『つまんねぇの』という表情を貼り付けて唸ると、ベッドから腰を上げて、窓辺に歩いて行った。
やれやれ。
俺は枕の下から煙草の箱を引っ張り出す。
「いい天気だ・・・・・・」
「そうっスね。こんな日は外のほうが気持ちいいでしょ。大佐、出てったらどうですか」
「ボインだったな」
「へ?」
「少将は、 ボイーン だったな?」
シーツにポトリと落ちたご法度は、男の悲しい性って奴かもしれない。
「よう来てくださったな。 申し訳ないが、しばし待たれよ。
今朝一番に使いをやって呼び出したが、まだ来ておらんでな。 ああ無論、見合いのことは伏せておいた。
しかし、めでたい。 知ってのとおり気の荒い娘のことだ、孫は諦めておったのだ。 なぁ?」
「ええあなた。 あの子が北でどこの馬の骨とも知れないグリズリーと家庭を築いている夢をもう3度は見ましたわ」
「いや、まだ決まったわけじゃ・・・・・・」
「あれに似た雄雄しい男子が良いな」
「ええあなた」
・・・・・・ていうかもう、帰ってもいいですか。
「ところで、そもそも我がアームストロング家は・・・・・・」
デジャヴュの予感に眩暈を感じていると、
バゴォン
といった音が巨大なダイニングを震わせた。
蹴破られたドアは壁に激突し、樹形のような罅が壁を侵食した。
「御用とは何ですかな、父上。 私は少々忙しいのですが」
光る唇から吐き捨てられる口上は要するに上機嫌の対極だった。
「オリヴィエ、ドアを脚で開けるなど、淑女のすることではないぞ!」
「これは失敬。
・・・・・・? 貴様」
俺はテーブルクロスの下にもぐりこみたい衝動に駆られたが、哀しいかな、脚が脚だった。
「まぁ、オリヴィエ、座りなさい」
父方が腰を上げ、彼女の両肩を押して席に着かせた。
「?」
「オリヴィエよ、ハボック君と見合いをするのだ」
「は!?」
「あなたっ、後は若い二人にまかせて」
「そうだなっ」
夫妻は凄まじい勢いで開いた出口から駆け去っていき、ついでに硬く扉を閉ざした。これには少将も唖然とした様子だったが、やがて歯軋りのひとつでもしそうな顔で椅子に沈み込んだ。
「で――ハボック、貴様は何だ」
「いや、あの・・・・・・お、お久しぶりで・・・・・・す。
・・・・・・北から移動なされたそうですね」
「答えになっとらん。 私が貴様と見合い、だと?」
「空耳でしょう!」
「たく、父上ときたら」
アームストロング少将は不快極まりないといった表情で顎を杓った。
「脚どうした。車椅子なぞに乗って」
「えっ・・・・・・あぁ、前にちょっと刺されて」
「・・・・・・初耳だな。 全治何ヶ月だ」
俺は一瞬どう切り返そうか迷ったが、結局つまらない言葉しか出てこなかった。
「一生このままです」
少将の目が僅かに見開いた。
「初耳だぞ」
「あ、そうでしたね・・・・・・あと軍も辞めたんですけど・・・・・・」
「知らん。 ・・・・・・半端者め。 機械鎧にすればいいだけの話だろう」
「勘弁してくださいよ、もう痛いのはまっぴらです」
「なんだと? 貴様、いつからそんな女男に成り下がったんだ。どっかの小豆チビ以下だぞ」
「はは・・・・・・」
「お前とホークアイを、いつかマスタングからくすねてやろうと思ってたのに。 見込み違いだったな」
「すんません」
答えに困ったので、とりあえず謝った。 すると、溜息だか嘲笑だか解らない「はっ」という息を発して、少将は起立した。
「私は戻るぞ。 忙しい」
「そうですか」
内心焦りながらも、うっかり儀礼を遂行している右手。呼び止める勇気はないらしい。
「見合い云々の件だがな、父上に破談だといっておいてくれ」
その容赦ない物言いは、たとえ相手の自尊心がダイヤモンドでできていたとしても粉砕するだろう。
「中央では色々やることがある。 小事にかかずらってる暇は無い」
「さいですか・・・・・・お気をつけて・・・・・・」
何かがガラガラと崩れていく音にまたデジャヴュが始まる。きびきびした足取りで通り過ぎていく青と金のコントラストを、――そして豊かなボインを――今となっては少し惜しいと思った。
「――あ、ひとつ、いいですか・・・・・・」
「なんだ?」
「少将は、アームス・・・・・・弟さんみたいなタイプが好きだったりします?」
雷が落ちたのかと思った。
「はぁ!!?? 怖気が立つようなことを言うな!!!!!
ふったのは忙しいからだと言ってるだろうが!!!!!」
恐ろしいことに、車椅子が転倒した。大事は無かったが、タイヤが滑稽にきゅるきゅる廻る。
「・・・・・・すいません、どうも有り難うございました」
ふんっ、と盛大に鼻息をくれて、少将は踵を鳴らして歩いて行った。
無様に転がったままで、それを成すすべなく眺めていると、不意に、胸の中に何か石ころのようなものが転がる感じがした。
――ふったのは忙しいからだと――?
じゃあ、俺は辛うじて彼女の守備範囲内ということで――は無いな。うん。
あーあ、せめて起こしていってくださいよ。
と心の中でぼやいたところ、彼女は出口で一度立ち止まった。
「どうしました?」
「いや――
せいぜい残った体を大事にな。 ——自愛しろ」
その言葉に——何故か、電撃よろしく走りぬけた衝撃。
俺は「まともな体勢でいたい」という生理的欲求をどこかへ落っことしてしまった。
「じゃあな」
「待っ――!」
咄嗟に上げた手も虚しく、靴音は廊下に消えて行った。
俺は横っ面を張られたみたいに茫漠と横たわって、戸口に彼女の残像を、いつまでも捜し求めていた。
・・・・・・・春です
・・・・・・・俺の人生に春が
プリーズ・カム・バック――オリヴィエ様――!
<end>