「マイルズが拘束されただと!?」
女王の咆哮に、要塞は一時騒然となった。
オリヴィエは事務椅子を蹴倒して立ち上がると、自分より頭3つ分ほども大きいバッカニアの胸倉を掴んで、食って掛かった。
「ドラクマか? 食料調達には貴様も付いて行ったんだろう。 なぜそんなヘマをやらかした?」
「申し訳ありません。 しかし少将、ドラクマではありません」
「何だ!?」
「麓の村の住民たちです」
一瞬、部屋の中には氷のような静寂が降りた。
間もなく、オリヴィエはバッカニアを解放すると、ふくよかな唇を歪めて盛大に舌打ちをした。
「ドラクマのほうがなんぼかマシだな。 連中ときたら・・・・・・一体なにを考えてるのか」
「奴ら、ここの軍人が大好きなんですな。
今日は夏祭りがあるとかで。 少佐は、大方その余興にでも引っ張っていかれたんでしょう。
我々はなんというか――逃げるので精一杯で。 追いすがる連中の迫力ときたら、グリズリーも真っ青です」
「ふざけるな、軍人を攫うなどと。 反逆行為だぞ! いますぐ戦車で襲撃してやる」
「ご勘弁を。 奴らの提供する食料は大層質がいいんです。 それが無くなれば兵から不満が出ます。
なに、悪い奴らじゃありません。 少佐も夜になれば解放されて、帰られるでしょう」
オリヴィエは険悪な様子で鼻を鳴らした。
「・・・・・・コート。出掛ける」
「アイ・マム。 隊を編成されますか?」
「ひとりでいい」
バッカニアが広げたコートに袖を通し、オリヴィエは部屋を出た。
***
マイルズは文字通り閉口していた。
腰に纏わりつく子供たち。 右手には風船の束。
私は一体全体何を――と、すでに泡ほど吐いた言葉を思いながら、子供たちに風船を見繕ってやった。
「ありがと、くまさん!」
蜘蛛の子のように祭りの中へ散開していく彼らに、愛嬌たっぷりに手を振って見送る。
溜息は、ぽかぽかした着ぐるみの中に閉じ篭った。
――くまさん・・・・・・。
無理からに着せられたそれは、いたく愛らしいもので、自分とは恐ろしく配合が合わない。いや、そもそもこんなものに似合うも何もないが。
果たして自分がこれを着る意味があるのかは不明だが、村の連中はなにやら満足したらしい。 給料も出そうと言った。無論断ったが、彼らの『逃がさないぞ』という気迫は鉄壁だった。
まぁ、食料の事などでいつも世話になっているし―― 今日一日だけなら構わないか。
などという思考を、上司に悟られたらひっぱたかれかねないが。職務怠慢だ何だと怒り狂うに違いない。
「おい、そこの熊」
心臓が瞬間冷凍された。
振り返れば、脳裏をよぎった通りの表情を貼り付けて、アームストロング少将その人が、にぎわう人々の間を闊歩してくるところだった。様々な色が鮮やかにひしめく中、その軍服は断固たる青だった。
「軍人を見なかったか。色黒で、怪しいグラサンつけた。後頭部はハゲで、なんかこう、鋭角に折れ曲がったモミアゲをひっつけている―― あ、待て 貴様」
マイルズは一目散に駆け出していた。
しかし、着ぐるみの脚は足手まといにもほどがあるという代物であって、逃走距離は3メートルにも満たなかった。腕をがっしりと掴まれ、背負い投げの危険を即座に感じ――我が身よりもまだ手に握っている風船のことを案じて、マイルズは止まった。
「なんだ、お前。 何を隠してる」
「し――少将」
えいままよ、と出した声は、驚くほどに空気を変化させた。マイルズは上司のポカンとした顔、というのを初めて拝謁した。
「マイル・・・・・・ズ?」
こくこく、と頭を揺らして見せた。
「きさ・・・・・・何やってる」
「アルバイトを。弁解しておきますと、半強制的な」
「・・・・・・喋るな。 見た目との差異が激しいぞ」
その言葉は命令的ではなくて、からかいと失笑を含んでいた。
「自覚しております」
「さっさと帰ってこんか馬鹿者。 このお祭り騒ぎで逃げられん訳が無かろう」
「そうですね、仰る通りで・・・・・・」
ふん、といいながら、オリヴィエはマイルズの柔らかい腹をとんとんと叩いたり、造りものの耳を引っ張っては、ニヤニヤ笑いを濃くしていった。
「くまさん、か。 頭外していいか?カポッて?」
「止めてください。 子供が泣きます」
丁度駆け寄ってきた子供達は、熊の着ぐるみと軍人のツーショットにいささかの違和感を抱いたらしかったが、そんなことは風船に比べればどうでもいいことだった。
マイルズが風船を配ってやると、喜んでまた子犬のように走っていく。 と、ひとりがちょっと立ち止まって振り返った。
「おねいさん、くまさん好きなんだね」
オリヴィエは、着ぐるみの中のマイルズと眼を合わせた。
碧眼の上の整った眉がちょいと上がり、やがて腕がマイルズの首に巻きついてきた。それは容赦の無い力で、マイルズは冷や汗をかいた。
「ああ、好きだぞ。 お姉さんは、熊大好きだ」
「あたしもすき」
子供はにっこり笑うと、風船を揺らして駆けて行った。
オリヴィエの眉が、すっと定位置に戻る。
「・・・・・・ガキは好かん」
「あっ――駄目ですって」
不意に頭が持ち上げられ、マイルズは焦った。だがそれは口から顎までの範囲を現すに留まった。
「こういうシチュエーションは稀有だな」
「何をする気で――」
咄嗟に柔らかい感触で唇を占拠された。
そのまま貪欲に貪られているうちに、マイルズは残った風船を全て空に放してしまった。 代わりに、空いた腕で上司の背中を抱き寄せた。
祭りの色彩豊かな陽気が、熊と軍人を溶かしていった。
***
「・・・・・・帰ってこない」
一方、砦には木枯らしが吹いていた。
「こりゃ、ミイラ捕りがミイラですな」
「少将までもが虜に・・・・・・なんて恐ろしい村だ」
「軍人狩りの村・・・・・・」
「大尉、救援隊出しますか」
「いや。――・・・・・・怖いし、やめとこう」
「確かに。 あの村人ども、鬼気迫るものがありましたよね」
「いや、どっちかっていうと・・・・・・ボスがな」
「??」
<end>