エスとエゴと

 

すっかり感覚の無くなった両足を暖炉の前に投げ出して、肘掛け椅子に落ち着いた。 
 
すると彼女は有無を言わさず私の踝に覆い被さって、凍りついた靴紐を解き始めた。
 
「自分でやります」
 
「やらせろ――湖に落ちただと?」
 
「氷を踏み割っただけです」
 
「ダサさは変わらん。 何があったんだ」
 
「山肌に雪庇(せっぴ)を見たような気がしたので確認を急いだところ、うっかりと。 結局はただの雲でしたが」
 
雪庇は雪の吹き溜まりのことで、雪崩の原因になる。 要塞周辺見廻りのチェックリストには、一番先頭に記載されていた。
 
「ダサダサだな」
 
 その歯に衣どころか下着一枚着せないような言動をいつもの如く受け流せなくなっているということは―― 事件は思いのほか、私の気分を硝子質に仕立て上げているようだ。
 
「バッカニアがすぐに引き抜いてくれましたが、いや、驚きました。 なにしろセメントで固められたように足が全く動かないもので」
 
 そして至極痛かったことは言うまでも無い。
 
 冷水を吸って重くなった靴が、かなりの抵抗を伴って、ずるりと脱がされた。控えめな表現で言うなら、皮膚が持っていかれるかと思った。
 
「靴下を脱げ」
 
 と彼女が命令し、私は従った。彼女は私の手からタオルを抜くと、真っ赤になった足を取って拭き始めた。それは、お世辞にも丁寧とは言いがたい動作だった。
 
「・・・・・・土踏まず」
 
「・・・・・・それがどうかなさいましたか」
 
タオルがそこを右往左往するので、ひどく擽ったかった。
 
「いや、お前は偏平足だろうと前々から思っていたんだが、違うな」
 
なぜそう限定して思うんでしょうね――
 
「だが、でかいのは思ってた通りだ」
 
 嬉しそうにそう言って、彼女は拭きたての私の足の裏に頬をくっつけた。
 
 ――まったくこの人は。
 
 私は言葉に変換した思考で、目を逸らそうとする。
 
「・・・・・・汚いですよ」
 
「構わん」
 
「楽しいですか」
 
「うん? 冷たい」
 
「・・・・・・少将、タオル頂けますか。もう一方の足を拭きます」
 
答えの代わりに、指の腹が土踏まずをなぞってきた。
 
「・・・・・・少将」
 
手を伸ばすと、私の視線は碧眼に喰らいつかれた。
 
「エスとエゴとスーパーエゴ」
 
言葉遊びのような調子が、ふくよかな唇の間から転がり落ちた。
 
「精神分析? 原始的自我と、自我と、超自我、ですか」
 
彼女は私の土踏まずを指してEs、私の心臓を指してego、それから、私の書き物机の上の羅針盤を指してsperegoを発音した。
 
――貴女の挑発と、私の理性のタガと、それを外部から縛り付ける縄
 
「均衡を保っているというわけだ。 だがなマイルズ。 今のお前以上に完全なバランスが無かったとして、それ以上のアンバランスも無い」
 
「では、今の私以上に完全なバランスとやらが、あったとすれば?」
 
彼女が手を緩めると、足はあっけなく床に落ちた。
 
不敵極まりない笑いを浮かべる件の女王は、雪崩のように私を粉砕していく。
 
 
 
end