要塞は安息して

 

「まあ、四郎様――」

昼下がり、原城の高みにある一室。 四郎を尋ねて戸を開いた寿庵は、来る間中考えていた事柄を一瞬で忘れた。

日なたにお福が座り、その膝枕で四郎は耳掃除を施されていたのである。――その光景は、籠城の真っ最中である原城においてあまりに平和すぎるように思われた。

「あぁ寿庵、何だ・・・・・・そんな顔をするな、別に能天気に過ごしているわけじゃないぞ」

「はぁ」

説得力の無い格好であると自覚はしているらしく、四郎はしかつめらしい顔を取り繕って咳払いした。

「で どうした、敵襲か」

そうではない、と解っていて、便宜上四郎は言う。寿庵の用事が敵襲の知らせであったなら、この場面は寿庵の登場から緊迫しきっていたはずだ。

「いえ、相変わらず外は静かですが・・・・・・」

「それじゃ、いらっしゃい寿庵殿、座って」

お福が陽気に言った。

「閑なんでしょう?」

図星だった。寿庵が考えていたことは、要するに、空いた時間を四郎と過ごしたいが、その口実をどうするかだった。

寿庵は、姉弟水入らずのところに申し訳ない――というよりは遠慮申し上げたい――と思ったのだが、当人らが促すので、部屋に入って座った。お福は作業を再開した。寿庵は、なんとはなしにその様子を見ないようにした。

 

昨夜、激戦の末追い返してから、敵は攻めてきていない。 連日の生きるか死ぬかの攻防が嘘であったかのように海は静かだ。

どうも一揆軍の予想外の戦力に、ひとまず撤退したということらしい。

実力行使による攻略が難航であると判った以上は、徒に兵を消費する伊豆守ではない。暫くはこちらを疲弊させることに徹するつもりでは無かろうか、というのが軍師寿庵の結論だった。

 

「今は好機と思ってゆっくりしましょう。来ないものをぴりぴりしたところで仕方ないでしょうしね」

「そうですね。一応耳だけはそば立てておくように、皆には言ってきましたが・・・・・・のんびりしています、皆」

「だって大変だったもの、ここのところ」

お福の頬には、目立つ切り傷があった。 彼女だけでなく、寿庵も、四郎も、階下でつかの間の休みに息をついている仲間たちも皆、すでに傷だらけである。

お福は含み笑い、四郎の頭をそれなりの力ではたいた。

「この愚弟を見てやって頂戴」

「久々に掃除してやるから横になれ、と言ったのは姉上ではありませんか」

四郎が眉を寄せ、反論した。 その様子はまるで気が抜けている。 

汚れた服、無造作な髪、傷ついた肌。――しかし、彼らの姿を、何故か優雅だと寿庵は思った。

「痛っ・・・・・・姉上、奥に入った」

「寿庵殿もする?」

「遠慮します」

そこは寿庵も妙齢の女子である。

 

話をしているうちに、足の速い冬の日は落ちてきて、部屋の中には夕陽の色が満ちた。

「――ああ」

不意にお福が言い、寿庵が見ると、先刻から言葉少なだった四郎は、目を閉じていた。眠ってしまったようだ。

「子供みたいでしょう。昔から、耳掃除の最中に眠ってしまうのよ、この人」

お福は徐に道具一式を片付け、寿庵を手招く。

何だろうか、と寿庵が寄ると、お福は四郎の頭をそっともたげ、そのまま事も無げに、その重みを寿庵の腿に移した。

「お福さ――!?」

「し」

お福は唇に指を当てた。

「皆の夕食の支度をしないと。悪いけれど起きるまでそうしてやって。ね」

お福は笑むと、激しく狼狽する寿庵を残し、さっさと部屋を出て行ってしまった。

「・・・・・・――姉上も人が悪い」

四郎が突然喋り、眠っているとばかり思っていた寿庵は、思わず足を崩した。ごつ、と鈍い音がし、四郎は声にならないような呻きを上げた。

「すっ、すみません四郎様!・・・・・・起きていらしたのですか・・・・・・」

四郎は、ああ、と短く答えて、頭を押さえながら、緩慢に身を起こした。

「うつらうつらしていた・・・・・・。姉上は、あれは――解っていたな」

「そ・・・・・・うですか・・・・・・」

「そういうわけだ。 ・・・・・・」

四郎は欠伸をひとつすると、自分のうしろ首を軽く叩いてみせた。

「?」

「枕・・・・・・良いか?」

少し間が空いた。

寿庵はこわごわ膝を正す。 四郎が再び頭を載せた。

寿庵はどんな顔をしていいものやら解らないやら、寝辛くは無いかと気を遣うやらで頭が混乱し――ひたすらに『重い』と心中で呟いた。

・・・・・・重い。お福さんは、よくも知らん顔で支えていたものだ・・・・・・

――しかし、どうにも、その重みが愛しい。

「今日は平和だったな・・・・・・」

四郎は遠くを見るように呟いた。

「まだ終わっていませんよ、今日は」

すると四郎は、安らいだ様子で目を閉じた。

「そうだな。――眠い・・・・・・」

「お休みください」

四郎様、寿庵は言った。

四郎はやがて、深く穏やかな呼吸を始める。寿庵はただ幸福感に浸って、いつまでもそうしていられる気がした。

 

要塞は今しばし安息し、夢をみていた。

寿庵は、願わずにいられない。

醒めないようにと。

 

 <・・・・・・終>