入り江の休息

 

下弦の月の下、夜空の黒をたたえた冬の海は、見るも寒い。寒すぎる。

「お前たち、寒すぎる」

磯の岩に腰掛けた四郎時貞は、ひとりごちるように言った。もとい、隣に座っている寿庵に語りかけた。

月光を乱反射し煌く波打ち際では、若者たちが服を捲り上げ、活発に遊びまわっている。

 

四郎らは今、天草の入り江にいる。シローと伴天連の子供達が隠れ棲んでいた入り江である。

浅瀬には、商船の残骸が、横腹に空いた穴を晒して横たわっている。この商船からシローの父の遺産である財宝を密かに運び出すために、四郎たちは来ていた。

今、ある程度作業を終え、彼らはしばしの休息をとっている。

「若いな、彼らは」

「若いですね。 四郎様お茶でもいかがですか」

「こらこら年寄り臭いよあんたたち」

お福がいつの間にか背後にいた。声色から察するに、悪乗りの最中らしい。

「四郎も交ざって遊んでくればいいのに」

「遠慮します。あの中に入って行く青さはありません」

「甘い。父上を見なさい」

四郎の父甚兵衛は老体と思えぬ活発ぶりを無駄に発揮し、はしゃぐ青年らの間で踊っていた。

「父上――」

「四郎。今やキリシタン一揆軍総大将である貴方が、そんな元気の無いことでは困るのよ」

「別に元気が無いわけでは」

「れっつ青春だ。若者よ、さぁ父上と共に踊ってきなさい」

「嫌です」

「――四郎様っ」

寿庵が立ち上がった。

「踊る気か!?」

「踊りません。あれを止めないと!」

寿庵が指差す先には、難破船。その穂先に立っているのは、天の御子シロー。どうやら景気良く海に飛び込もうとしているらしい。

「有り得ない・・・・・・いくらなんでも、今は霜月ですよ? いい加減にしてもらわないと!」

「まぁ、シローたちはこの入り江が名残惜しいんだろう。 はしゃぐくらい構わないじゃないか。 若いんだし」

「風邪をひいたらどうするんですか、こんな時に――シロー様っ、駄目です!!

寿庵が慌てて駆け出し、四郎も思わず後を追った。

と思いきや

「――っ!?」

四郎は腰が抜けたかのように、岩の間にへたり込んでしまった。

「どうしたの四郎」

「あ、足に何か・・・・・・!痛っ――」

四郎が足を持ち上げると、足首の、かかとの上のところに、蟹がぶら下がっていた。磯蟹にあるまじき大きさ。その鋏が四郎の肉にきつく喰い込んでいる。

お福は冷静だった。

「蟹鍋」

「言うことはそれだけですか姉上・・・・・・」

 

結局、寿庵は無謀な飛び込みを阻止できなかった。その上、勇士だか阿呆だかおそらく後者である人間が数名、シローに続いて冬の海に浸かった。

今現在は皆、魚獲りに精を出している様子だ。魚を、先ほどの蟹(捕まえた)ともども、夕食のおかずにしようということになったらしい。

「止めないのか」

「止めました」

四郎の足首に包帯を巻いてくれながら、寿庵はふくれっ面で言った。患部はほんの軽く皮がめくれた程度だったが、寿庵はシローを止められなかったことの代償行為として、手厚い手当てを施しているらしい。

巻き終わると寿庵は、またさっきのように四郎の隣に腰掛けた。

「彼らは・・・・・・まだ仕事が残っていることを解っているんでしょうか。・・・・・・ずぶ濡れのまま作業することになりますよ」

「それにしても・・・・・・」

二人の視線の先には、青年たちに負けず劣らずエキサイトし、魚を追う甚兵衛とお福が。二人とも膝まで海水に浸かっている。

「父上姉上・・・・・・」

「もう一度言いますが、霜月ですよ。・・・・・・寒くないんでしょうか?」

「さぁ・・・・・・。若いな・・・・・・」

「ええ。困ったことに・・・・・・」

潮風の冷たさに、思わずぴたっと身をくっつけ合った四郎と寿庵。

月光は冷ややかで、穏やかだった。

 

<・・・・・・終>