南蛮絵師の心

 

「寿庵、私はいつまでこうしていなければいけないんだ?」

とうとう四郎時貞は問いかけた。口ぶりは軽かったが、その顔にはやや、うんざり、といった色が浮かんでいる。腕を組み脚は軽く開いて、もう長い時間、同じ姿勢で立ち続けている。

寿庵はというと――四郎の周りをせかせかと動き回っては、指で「」の形を作ったり、木炭を用いてなにやら測ったりしていたが――動作をやめ、ふぅと不満げな息をついた。

「すみません、四郎様。休んで下さって良いですよ」

 

反乱軍は、原城を得た。三万七千人の団結に伴い、絵心のある寿庵が、反旗の絵、並びに四郎とシローの肖像を手がけることになっていた。だが――

寿庵は、画架に向かって立ち、思い悩む様子で爪を噛んだ。四郎はその傍に寄る。画布は未だ真っ白だ。

「なにを悩んでいるんだ、一体」

「装いを如何しようと思って」

「装い? この格好を描けば良いじゃないか」

四郎は腕を広げて見せる。赤い十字架があしらわれた純白の装束。絵にしても何ら恥はない、それなりに立派なもののはずだが。

「肩当が・・・・・・気に入らないんです」

「これか?」

なお、四郎は解せない。肩当は、金の三日月の刺繍が両肩に施された華やかなものだ。

外そうかと四郎は言ったが、寿庵はしかつめらしい顔のまま首を横に振る。

「なんだかそれでは物足りないし・・・・・・かといって、その肩当の模様は、何と言いますか――」

描きたくない、という。

絵を描く者の複雑な心理は解らない。

四郎は、寿庵が構想するのに任せるほかなく、手持ち部沙汰にその苦悩する横顔を見ていた。

 

突如、戸が開いた。

「やっ」

やってきたのはシローとゼンザ、そしてお蜜だった。

お蜜はいかにも無理からに連れてこられたらしく、寿庵が反射的に鋭い視線を投げると、気だるげに「にっ」と笑った。シローが無邪気に喋る。

「寿庵さん、四郎さんの絵描いてるんだって?見せてくれよ」

「まだ下描きも出来てないんです。ああ、いずれシロー様の肖像画もお描きしますね」

「肖像画だってさ」

ゼンザが愉快そうにシローを小突く。シローは、どうでもいいな、と苦笑いした。

「で、その色男、どんな絵にするか決まったのかい。南蛮絵師山田寿庵さんよ?」

寿庵は眉を吊り上げた。

「私がこの城にいる限り、四郎様へのご無礼並びに拙い言葉遣いは、許しませんよ」

「そうかい。ならアタシゃ梔子(くちなし)にでもなろうかねー」

「どうぞご自由に」

まぁまぁ、と四郎とシローがそれぞれ、闘争心をぎらぎらと燃え上がらせる寿庵とお蜜の間に入った。原城において、いまや日にニ、三度は目にする光景である。

「で――で、どうなのさ?」

シローが言った。

「どんな絵にするつもり?」

「それが」

「寿庵は、服装が気に入らないと言ってな」

「服ぅ?」

「中でもこの肩当が気に入らぬとかで」

「ふぅん? ・・・・・・ああそれ、なんか甘蕉(ばなな)がふたつくっついてるみたいだもんなぁ」

シローは、四郎の肩の三日月模様を指差して笑った。ばなな?なんだよそれ、と言うゼンザにシローは、海の向こうにある果物だと説明した。

「シロー様とゼンザさんはどう思われますか。肖像画の四郎様に、どのような衣装をお着せするべきでしょうか」

「衣装ねー・・・・・・」

ゼンザはシローと顔を見交わした。

「俺たちには、そういうのさっぱりだな?ああ、そういえばこのキリシタンの服を作ったのってお福さんだろ?あの人に聞いてみたら」

「というか、お蜜さん、どう思う?」

シローがお蜜に振る。

「アタシ?」

「だってお蜜さんは絵草子屋だろ?ここは専門家の意見をさ」

お蜜はそうさねぇ、と面白そうに言いながら、わざわざ寿庵を押しのけ四郎に歩み寄ると、艶やかにしなだれかかって、首に手を廻した。寿庵は形良い唇を噛み、射殺すような眼で睨む。お蜜は挑発するように舌を出した。

「いっそ素っ裸、てのはどうだい」

「なっ」

寿庵は言葉を失い、シローとゼンザは笑い転げた。

「お断りだぞ」

四郎は端正な顔を顰め、お蜜の手を退けた。

「いいじゃない四郎さん、ひいきにしてる女の人たちが喜ぶよ、脱ぎなよ」

「シロー様っ」

「脱ぐかっ」

「なんだよ、お尻に蒙古斑とかあっても気にしないよ俺たち」

「おしっ・・・・・・あるわけないだろう!――なぁ寿庵

「え――・・・・・・それは」

シローは吹き出した。

「なんでそんなことまで寿庵さんに訊くんだよ?」

「あっ・・・・・・」

当の四郎も笑ったが、寿庵は眉をぴくぴくさせた。お蜜がからかう。

「いやぁ、軍師様ってのは大将の色んなことを知っとかなきゃいけないんだねぇ?」

「だからそれは! 四郎様はつい仰っただけで・・・・・・―― もう、四郎様っ」

寿庵はとうとう頬を紅に染め、四郎を咎めた。

「な、何だ寿庵」

四郎にくるりっと背を向け、寿庵は戸に向かった。精一杯の大股で行こうとして、足がもつれる。

「どこに行く」

「部屋に籠って旗の絵を描きます」

最後にむすっとした横顔を見せ、寿庵は戸を閉めた。

 

――その後、結局四郎らの肖像が描かれることはなかった。

しかし、一時、原城には「隠し絵」の噂が流れることとなる。

礼拝用の部屋の、祭壇横にある聖母マリアの南蛮絵――口之津の山田右衛門作邸から持ち込まれたものらしい――を剥がすと、その下から益田四郎時貞の肖像画が出てくる、という。

寿庵が目を光らせていたお陰で、皆の関心が逸れるまで、とりあえずマリアは無事だった。

 

<・・・・・・終>