薔薇の花

 

「何杯飲んだんだね?」

しまった、そう思った時には酒瓶に満ちていた液体は消え、クラウスはやたら朗らかな笑みを浮かべて天井を見つめていた。

 

二人が明日の行動の打ち合わせをしながら飲んでいたフルーツ・カクテルは、それほど度数の高いものではないが、さすがに一瓶も呷れば酔うのに十分だろう。

ディミトリーが一方的に話し込んでいる間にクラウスはグイグイと飲んでいたらしく、耳まで真っ赤に染まり会話にも思考能力の低下が表れ始めていた。

「あははは、博士ぇ、かつらかつらぁ」

「違う」

ディミトリーは持ち前の無表情で否定しつつ、何が可笑しいのかひたすら笑い続けるクラウスからコップを取り上げた。

「にゃーっ、らめぇ、博士のいけず~っ、サディストぉ」

これがあの聡明で品行正しき英国青年だとは。

ディミトリーは、やや見てはいけないものを見てしまったような感じと、事態の収拾の面倒くささとがないまぜになった気持ちで、溜息をつく。

クラウスは相変わらず端正なその顔を緩ませたまま、ディミトリーの首のスカーフをぐいぐいと容赦のない力で引っ張って、大きな声で喋った。

「溜息つくとね、シアワセがね、逃げてくンですよぅ?うふふ」

私の人生すでに幸せ逃げまくりだよ、とか思いつつ、ディミトリーはスカーフをもぎ取り、クラウスの肩を軽く叩いた。

「もう帰りなさい。送って行こう。立てるかね」

促すと、クラウスはへらへらと笑いながら立ち上がり、派手に床に崩れ落ちた。バー・ルースの備品のテーブルが幾つか、居場所を追われて、ぶつかり合った。

「あれぇ、おかしいなー。あしもとがフワフワする・・・・・・」

これでは、夜道を送り届けるのは苦難を極めそうである。目的地に着く途上、美しい日の出を見ることになるかもしれない。

やむなく、ディミトリーは彼をバーの二階に移すことにした。二階は店の延長のように見えて、実は部屋になっている。今、ディミトリーが生活しているのがこの部屋である。

細身とはいえ、脱力した青年の体は重いうえ、筋力の劣るディミトリーにはなおさらで、自分の骨の軋むのを聞きながらやっとこさそれを支えて階段まで引きずって行くと、息が上がった。

さらに段を上るのは至難の業である。

 

その作業の途上、不意にクラウスが動いた。

「・・・・・・?」

息を荒く吐きながらディミトリーが見ていると、クラウスはやおらポケットをごそごそ探り、赤い薔薇を取り出した。よく見れば、布か何かでできた造花である。

何をするつもりか見ていれば、クラウスはディミトリーの胸倉を乱暴に掴んだ。

「――なにかね・・・!」

不穏な空気に、すわ一大事かと身構えていると、薔薇がディミトリーの心の臓の辺りに押し当てられた。クラウスは、どうやら装飾品らしい其れを取り付けようとしているようだ。

「僕を育ててくれた人の形見ですよ。・・・・・・うふふ、博士はねぇ、顔も、色素もうっすいから、いつも見失っちゃうんですよ・・・・・・これでもつけてるといいんです。 あげます、どーぞ」

「・・・・・・感謝感激だよ、どうも」

薔薇のコサージュを受け取ると、ディミトリーは残りの階段を踏んだ。

 

部屋に入り、窓際の一人用の簡素なベッドに彼を入れ、長い息を吐いた。クラウスはシーツのなかで身もだえするように笑い始めた。

「溜息すると幸せも色素もぬけていくんですよ、あは」

お黙り、と言ってやりたいのをぐっとこらえて

「それじゃあおやすみ、クラウス君。いい夢を」

肩越しにそう言って去ろうとすれば、クラウスはベッドをぼんぼん叩いて暴れた。

「帽子を被って寝ろだなんて、あんまりですよ、まったく!」

ディミトリーは帽子をさっと脱がせ脇の小机に放った。

「気が済んだかね。なんなら、服も脱がしてあげようか」

苛苛とそう口にすると、ぴたりとクラウスは沈黙した。

趣味の悪い言葉が出たものだ――そう思った時には、時既に遅しだが、明日までは覚えていまい、多分。ディミトリーはそう結論して、ドアに向かった。

「赤い花は嫌いです」 

突如静かな声がして、ディミトリーは、思わず立ち止まった。

「・・・・・・なに」

「赤い花弁・・・・・・あの火を思い出すから・・・・・・」

うわごとのような呟きは、やがて寝息に変わった。

ディミトリーは立ち尽くして、しばし青年の穏やかな寝顔を見ていた。薔薇のコサージュと、見比べながら。

 

翌朝。

ソファで寝たせいで、かつ酔ったクラウスを二階に運ぶという慣れない重労働のせいで節々痛む体で、ディミトリーは階段を上がった。

部屋に入ると、その音で目覚めたらしいクラウスは、はっと言うように跳ね起きた。

「ここは・・・・・・?僕はどうして、ここで寝ているんです?」

「ルースだよ。昨夜は君が酔いつぶれたので、ここで寝てもらったのだよ。お早う」

「お早うございます・・・・・・そうなんですか?全然覚えがない・・・・・・あ」

クラウスはディミトリーの胸元を見、すぐさま手をポケットに入れた。ほっそりした眉を顰めている。

「・・・・・・博士が、どうしてそれを?」

「覚えていないのか。他でもない君がくれたのだがね。・・・・・・つけていろと言って」

クラウスは、酔っていたときの記憶が無いだけに、すんなりと納得したらしい。

「あぁ、そうでしたか・・・・・・」

「返すべきかね?」

クラウスが瞬く。その瞬間、瞳が冷たい光を宿す。

「いえ・・・・・・なんだか、似合っているじゃないですか。つけていてください」

クラウスは微笑んだ。

それからちょっと辺りを見渡し、ベッドの端まで寄ると、帽子を取った。

「――ああ、それに。・・・・・・それ、目立ちますから、地味な博士にはぴったりかと」

クラウスはしれっと言うと、品良い、英国青年の仕草で帽子を被った。

ディミトリーの窪んだこめかみが微かに戦慄く。

「・・・・・・風呂に入りたまえっ」

まだ酒臭いクラウスを尻目に、ディミトリーは、ぴしゃりとドアを閉めた。

 

――赤い薔薇は心臓の前に。 嫌悪の標的として。 

 

 <end>

 

博士の胸の薔薇の由来というか。 ううん、よく解らん・・・。 

嫌われ博士。

本編中の二人の絡みが、裏切り発覚シーンしかない哀しさ・・・。なんてことだ。 あとはひたすら会話がない。ああ、まるで赤の他人のよう。おい協力者。

だから創作のし甲斐が? 別に。 

ようは博士が好きなんです。善きおぢさまだと思うんですが。