三月四日

 

*三月四日*
 
草木も眠る、だいたい夜十一時くらい――
 
 
山の奥の奥、鬱蒼と茂った草の中にぽつんと、寂れた、不気味な社があった。
 
中から、押し殺した幾つかの話し声が、低い唸りのように聞こえてくる。
 
狭い社に押し込められた、大の男が数にして七名。プラス、少女一名がひしめきあって潜んでいる様は、異様である。
 
 
「いってぇ!誰か足踏んでる!」
 
「あ、も、申し訳ありません、イサト殿!大事ございませんでしょうか・・・・・・」
 
「ああ・・・・・・った!くらぁっ」
 
「おや、すまないねぇ。なにぶんこう狭いと」
 
「翡翠、こちらもです・・・・・・っ」
 
「悪しからず、別当殿」
 
「シィーッ、みんな、声が大きいです。私たち今、隠れてるんですよ?」
 
「いや、そもそもよー・・・・・・」
 
イサトは呟いた。何でこうなってる、と。
 
そもそも、今日のイサトの目的は、『彰紋に会うこと』だった。ここでこうしているのも、その流れだったはずで、しかし、目的とかけ離れるにもほどがあるこの現状はなんなのか。
 
 
――彰紋は最近、めっきり顔を見せなかった。仕事が忙しいという理由だった。
 
しかし今日。今日は、絶対に、なんとしても、イサトは彰紋に会う必要があるわけで。
 
 
それで今朝、花梨にそれとなく言ったところ、
 
「なんだかね、彰紋くん、最近変なんだ」
 
と眉を顰めた。
 
「変?」
 
「うん。全然、逢ってくれないでしょ?」
 
「仕事だろ。あいつ、そう言ってるんだろ?」
 
「うん。でもそれだけじゃなくて、噂が色々」
 
「噂だぁ??」
 
話によれば、ある日から、彰紋は人が変わってしまった・・・・・・らしい。魔に憑かれたように、わき目も振らずに仕事をこなすようになり、全て終えると、すぐさま部屋に引っ込むのだそうだ。そして、彰紋の部屋の前を通りかかった人は、跳ね回るような音や、骨を齧るような音を聞いたという。
 
普段から陰口を叩いている貴族たちにすれば、やれみたことか、鬼がとうとう妖物と交わりだしたわ、というわけである。
 
「そ・し・て」
 
花梨は、きわめつけとばかりに、にやーりと笑った。
 
「毎晩、泰継さんが夜中に、一人で山の中に入ってく彰紋くんを見ている・・・・・・」
 
「そりゃただ事じゃないな・・・・・・で?その場で、何してんのかは聞かなかったって?」
 
「泰継さんだもの♪ そうだイサトくん、彰紋くんに会いたいなら、山の中で待ってればいいんじゃないかな?ついでに、彰紋くんが変になっちゃった理由がわかるかも。あ・・・・・・どうせならみんなで行って、物見遊山に、彰紋くんが夜な夜な山でなにしてるのか見物させてもらう・・・・・・っていうのは面白そうだなぁ」
 
「ものみゆさ・・・・・・」
 
「うん決まりっ」
 
イサトがとめる間もなく、花梨は猛然と走り去った。
 
 
――そして、夜。今に至る。
 
つけられた獣道を辿って、このうち棄てられた社に来た。彰紋はどうもここに、毎夜訪れているようだ。
 
それと、社にすし詰めになっていることと何の関係があるのか、イサトは誰かに問いたかったが、みんなそれどころではなかった。
 
 
「みんな、くれぐれも静かにしてね。もし彰紋くんが、見られて困るようなことをここでしてたとして、黙っていれば誰も傷つかないよね」
 
「私は色恋事と見るが、どう思う?」
 
この窮屈な状態において、神子同様楽しんでいる様子の翡翠。
 
「女だぁ?」とイサト。
 
「男ですね」びしっと邪推に走る神子。
 
「一理あるな。男かどうかは別として。というより、無しにして。身分違いの相手だから、こんなところで、忍んでお会いしているとか」と勝真。
 
「しかし、噂はどうなのでしょう?様子がおかしくなられたのは」と幸鷹。眼鏡が、ずれている。
 
「こうは考えられないかい。お相手は、人ならざるものだと」
 
「あ、それって、怪談にもありますよね。お付き合いしていた女の人が、実は幽霊で、男の人は衰弱していくっていう」
 
「・・・・・・取り憑かれてる、か。もし怨霊の仕業だったら――」
 
勝真が言いかけたとき、草を踏み分ける足音がして、みんな、はたと息を潜めた。社の戸の僅かな隙間に、八人の視線が集中する。
 
人影が、やってきた。
 
月がちょうど隠れたらしく、森の暗景の中、姿はおぼろげにしか見えない。しかし、声は彰紋のものだった。
 
「――お別れですね」
 
(社の中でみんな目を見交わした。)
 
「僕たち、長く一緒にいすぎた。そう、思うんです。きっと、このままじゃ君のためにならない。・・・・・・だから、さようならを言わせてください。・・・・・・とても辛いけれど・・・・・・僕――っ、痛!
 
(何人かが異口同音に「えっ」と呟く。)
 
「だめっ、やめて・・・・・・お願い・・・・・・ぁあっ!」
 
恋愛のもつれ――無理心中――あなたを殺して私も死ぬの――
 
そんな言葉が電光石火、脳裏を駆け巡ったとき、イサトは社の戸を蹴破った。
 
「彰紋いぃぃぃ!!」
 
イサトが見たのは、うずくまる彰紋の影だった。すぐさま走り寄る。
 
だが、どうにも様子が変だった。まず牽制すべき相手が見つからない。
 
イサトは困惑して立ち止まった。
 
月が出た。必死の面持ちで、押さえつけようとする彰紋の腕の中で、なにか激しく暴れている――
 
長い脚を、彰紋に向かってばねのように蹴りだしているのは、黒い兎だった。足袋を掃いたような白い脚には、紐が結わえてある。
 
「イ、イサト・・・・・・!?・・・・・・あっ!」
 
最後にどかっと凶暴な一蹴を与え、兎は彰紋の腕から飛び出ると、草むらへ飛び込んだ。
 
兎の足音が遠ざかっていくのを、彰紋はどこか呆然とした顔で見送っていた。
 
「は?」
 
イサトが錯乱している後ろで、仲間たちがわらわらと社から出てきた。
 
 
 
真相はこうである。
 
ある日、彰紋の部屋に、山から下りてきた兎が迷いこんだ。兎は、怪我をしていた。彰紋は懇ろに兎を手当てし、部屋で飼い、世話をした。
 
 
仕事を鬼の如く片付けていたのは、兎の面倒を見るためで、部屋からする物音は、やがて全快して体力満々になった兎が、飛び跳ね、畳を齧る音だったのだ。
 
「そのうち山に帰さなければと思ってはいたんですが、中々割り切れなくて。毎晩ここに連れてきては、また連れ帰っていたんです・・・・・・世話をすると、どうしても可愛くてしょうがなくなってしまいますね。見てのとおり、あまり懐いてはくれなかったけれど。怪我が治ったら、全力で僕から逃げ出そうとしていました。やはり、野の獣なのでしょうね」
 
彰紋は寂しげだった。
 
イサトは、兎を連れて毎晩禁中を抜け出す彰紋を思った。兎の脚に結わえた紐を離せずに、この草原で立ちすくむ姿も。
 
「なんか、悪かったな」
 
「いえ。これで、無理矢理仕事を早く切り上げる必要もなくなりましたし、こうしなければならないのは解っていましたから。僕の身勝手で、部屋に閉じ込めていたのは、本当に悪いことでした」
 
「いや、そうじゃなくてよ・・・・・・」
 
静かなお別れというわけにはいかなかった。そこには、野次馬がいた。
 
彰紋と並んで座ったイサト。一件落着し、離れたところで猫派、犬派談議をおっぱじめたらしい(兎が発端だ)勝真、頼忠。傍観者の泉水。
 
「やっぱり、利口なのにかぎるな。犬だ」
 
「勝真・・・・・・猫をみくびるな」
 
「・・・・・・(実は両方怖い)」
 
「別当殿には猫が懐きそうだねぇ。女も、猫も、呼んでも来ないが、朴訥としていると向こうから寄って来るというし」
 
「それはお前のことではないですか」
 
加わる幸鷹と翡翠。泰継はいつの間にか呪符を携えてひとりうろうろしているし、花梨はそのあとを付け回している。
 
「俺は、彰紋に逢いたかっただけなんだけど、なんでか大人数になっちまってさ。――お前がここに来てるの、泰継が見たって言ったんだ。それで」
 
「みんな来たんですね」
 
彰紋はくすくすと笑った。
 
「イサト、それで、なんでしょう?」
 
「え?」
 
「僕に、逢いたかったのでは?」
 
「ああ・・・・・・」
 
イサトは今になって、その故を思い出す。
 
「三月四日。誕生日」
 
「えっ・・・・・・」
 
彰紋は目を瞠って、ようやく合点が言った風に、あっと言った。
 
「思ってたとおりだけど、忘れてたみたいだな」
 
「そうですね、色々、ありましたから」
 
「まったく。お前も忘れてるんじゃ、ちゃんと覚えてたの俺だけじゃねぇか。とりあえず――おめでとうな」
 
改めて言うのがなぜか気恥ずかしく、頬をかいてイサトは言った。
 
「ありがとうございます」彰紋が、花開く様に微笑む。
 
かくして、珍妙な夜は更けていく。
 
<終・・・・・・・・>
 
 
山とオチを作ってみたら、yaoiでなくなりました。